リスクの明確化で「最悪」を防ぐ
東京都台東区の母親殺害事件。窃盗の発覚を防ぐために、殺人をしてしまったようです。
あることの発覚を防ぐためにより大きな事件を起こしてしまうことは、珍しくありません。交通事故の発覚を防ぐために逃走したり、不倫の発覚を防ぐために殺人をしたり。。。後者は、大阪府警の警察官が記憶に新しいですね。
このようなことを予防するために、会社等の組織では研修がよく行われています。
事件の発端となった不倫、交通事故、セクハラ等の不祥事は起こさないように、という研修です。
不倫→発覚を防ぐために殺人
交通事故→発覚を逃れるため逃走
確かに、①不祥事→②発覚を防ぐために犯罪→③「最悪」の状況になるので、不祥事を防ぐ研修には意味はあるのでしょう。しかし、どれだけ研修をしてもゼロにはできません。一定数は発生する。
後付けになりますが、①で止まっていれば、②よりはマシなはずです。なぜ、②までいってしまうかというと、
②をしても、発覚する可能性が高いことを知らない(自分だけは何とかなるのではという希望的観測)
①と②のデメリットを認識していない(知らない)
ことにあるのかなと思います。
そこで、研修は、不祥事を起こさないようにというテーマではなく、不祥事を起こした場合のデメリットと、そのデメリットを避けようとすることのリスクを、明確に伝えることにクローズアップする方が良いのではないかと思います。
たとえば、運送会社などのドライバーが交通事故(加療2ヶ月)を起こしてしまった場合を比較すると以下のようになります(相当簡略化していますが)
①不祥事の段階で止まった場合
警察→時々呼ばれて話を聞かれます
被害者に賠償金→保険金が出ます。
会社の評価→下がっても会社からの評価。世界中の人は事件すら知りません。
仕事→事務方に配置転換してもらいましょう。
家族に合わせる顔がない→気持ちの問題で会えます。
②発覚を避けようとして逃げた場合
警察→逮捕勾留されます。
被害者に賠償→保険金は出ない。自分か家族か会社が1億ぐらい払うことになります。
会社の評価→会社どころか世界中で評価が下がります。
仕事→裁判が終わるまでできない。刑務所内で仕事をするかもしれませんし、世界中で有名になるので再就職も厳しくなります。(これはこれで問題ですが)
家族に会わせる顔がない→本当に会いたくても会えません。
どうでしょう。どちらがどのぐらいマシか明らかですね。
起こり得る様々な不祥事のパターンをあらかじめ認識しておけば、いざ不祥事を起こしてしまった場合にも、パニックになって、②を選んでしまうということは減るのではないでしょうか。